成長できるきっかけっていろいろありますよね。
今回は実際自分が大きく成長できたきっかけになったと思えたときを振り返ってまとめてみたいと思います。
自分のキャリアはざっくりいうと:
- 中学生までは勉強がかなりできない子
- 中学3年生で塾に行き始めて平均点を超える
- 偏差値55くらいの高校でまったりすごす
- 高校2年で数学に開眼し一気に学校トップに
- 国立大学進学
- 友達が少なかったので図書館でお勉強漬け
- 博士課程を卒業し有名メーカーに就職
- 入社からほどなくして海外出向、経営を知る
- 戻ってきて人工知能、その他もろもろ担当
という感じですね。保育園育ちでぼーっとしていたせいか、中学の後半までは運動も勉強もまるでダメでしたが、そこから急激に勉強に目覚めて博士までとらせてもらいました。ありがたいことですね。
基本まったり、ぼーっとするのが好きなのは変わらないので、その後もわりとのんびりな感じで過ごしています。
技術的な議論をするときだけ人格が変わっちゃってすごく頑固になるって人からは言われますが、頑固はダメですよね。気を付けます。人の言うことをよく聞いて、学び続けたいと思っています。
余りリキまずするっと波を超えて人生楽しみたいですよね。
ポイントまとめ
各ポイントの詳細を参考動画・リンクをもとに見ていきます。
満員電車の中で数学に目覚めたとき
高校2年のとき。数学の参考書を読んで理解でき、身に着けられることに気づいた。
もともと小学校のときから計算ドリルをさぼりすぎて、後ろの回答を書き写していただけなので、まるで計算ができなかったんですよね。
それでもちろん数学は苦手でした。めんどくさかったし。
ところが高校2年になって、文字の計算になってから状況が急激に変わりました。
一応九九はできていたので、2x3とか簡単な掛け算、割り算は大丈夫。あとは文字の式になったんですよね。これで急に自分にとって状況が変わったことに気づきました。
そして大きかったのが毎日の電車、バスの通学時間。毎日トータルで2時間以上ありましたが、ずっと数学の本を読んでいました。
もともと紙に書いて勉強しないと数学は身につかないという先入観があったのですが、実はそんなこと必要なくて本をよんで理解していけばいいということに気が付いたのが大きかった。
結果大きく成績が伸び、大学を受験する頃には全国模試のランキングトップ30に載っていました。偏差値でいうと92とかそのくらい。
受験科目は数学、物理、英語に絞っていました。数学と物理は同じですから実質2科目。これなら十分マスターできました。勉強はできない子でしたが、能力をかき集めて2教科に絞ったイメージですね。
とにかく思うのは、平均点ばっかりしかとれないという人、2教科に絞りましょう。あとは捨てる。これはおすすめの戦略です。
はじめて国際学会デビューしたとき
修士課程2年のとき。国内で数度の学会発表経験を経て、学術界にデビュー。
場所はたしかフィンランドのヘルシンキでした。
そもそも修士の学生の発表なんてメタメタなわけですが、自分もひどかったと思います。その部分はあまり思い出したくないですが、それでも一生懸命原稿を書いて、スライドを書いて、練習して発表しました。
ガチガチに緊張してました。質疑応答もひどかったでしょうね。
でも会場には普段論文を引用させて頂いていた有名な先生がたがいて興奮したのを覚えています。
日本の大学の先生方など、普段話せない人といろいろ話せて勉強になりました。
要するに国際学会というのは、同じルールのゲームをしている世界のプレイヤーがオフラインで集まってワイワイするお祭りのようなものなのですが、リアルで会うのはほんとに刺激的ですね。
これがアカデミックの道に入り込んでいくきっかけになりました。
海外会社に出向して海外生活をしたとき
30歳のとき。日本を離れて、地球の大きさというか小ささを実感。
欧米に入ったことがありましたが、東南アジアはシンガポールしか言ったことがありませんでした。
そんななかベトナムに赴任したわけですが、すべてが刺激的だったことを覚えています。
バイクがとんでもない数はしっていて、すごい活気です。日本に帰ってくると異様に静かに感じます。
平均年齢は30歳以下で非常に若い国家ですので、みなイケイケです。
なので会社の離職率も多くって、ベトナムでビジネスするのはかなか大変です。賃金が安いといってもそれなりの代償はたくさんあります。
それでもパワー、エネルギー、勢いがすごくて、可能性を感じる面白いところです。日本と全然ちがう感覚ですしね。
自分は3年住んでいまして、いやほどこの感覚がわかりましたが、皆さんも一度東南アジアの国に行ってみるといい成長の機会を得られると思いますよ。
欧米にたくさんいくと飽きてきて刺激を感じなくなります。そんなときは東南アジアがいいですよ!刺激の塊です。
自分が主軸でかかわった大型システムが実用化されたとき
35歳のとき。他の会社のビジネスの根幹にかかわる体験。大きな売り上げを体験。
会社に入ってから海外含めてインフラ整備というか、縁の下の力持ちの役割だったので、それは一応役には立っていたと思いますが、直接的な売り上げに直面するということはありませんでした。
会社の中で中堅どころになってきて初めて、100億クラスの売り上げがたつ現場に立ち会いました。自分の技術が主軸になって大規模な売りがたったとき、やっとこ会社と社会に貢献できた感覚がありました。
100人を超える人が動いた大プロジェクトで企画から3年がかり。これはまた刺激的でした。
仕事に対するプレッシャーから声を荒げる人、なだめる人、まとめる人、強引に進める人、色々いました。みな同じ目標に向かっているのに、色々アプローチがありますよね。
そのあたりも、とても勉強になりました。組織の動かし方、まとめかた、交渉の仕方はやっぱりリアルなビジネスでないとなかなか学ぶのは難しいところです。
まとめ
もう一つ大きかった体験が、大学時代の塾の講師のアルバイトですね。
10人から15人くらいの中学生を相手に数学を教えていました。これで人に教える楽しさとともにプレゼン技術に目覚めた感じがしますね。とてもいい修行になりました。
学会での発表や、会社でも大勢の前で話す機会が月に1回はあるのですが、大学時代に塾講師をやっていたのは非常に大きい財産ですね。
アルバイトはそれぞれ大きな成長機会になりますから、塾の講師でなくてほかのことをやっていたら、また別の貴重なスキルが身についたと思います。
なんにせよ自分の得意を活かしてアルバイトをするのはおすすめです。自給ではなく、伸ばしたいスキルで選ぶのが長い目で見ていいと思いますよ!
今週のお題「〇〇の成長」